熱かった「あの日」
原爆のお話です。
今日は長崎原爆の日。
台風で式典が縮小されたのは残念です。
来年のこの日をまた私は待ちます。
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あとがき
私は、その絵と絵に書かれた説明書きを見て驚きました。
大火傷して、逃げる人々が「幸せ」?
??????????
違う。
この絵を描いた人は原爆の地獄を見た上で
家屋の下敷きになって火が迫ってくる人々の断末魔の叫びを聞いたんだ。
それは忘れられない叫び声だったそうです。
下敷きになった人は、自分の家に爆弾が落ちたのだと思っていたそうです。(這い出た人の体験談)
まさかまさか町全部が燃えていると思わず、助けを叫び続けたのでしょう。
どうして誰も助けてくれないの?
迫ってくる火。
どんなに恐ろしかったことでしょう。
どんなに熱かったことでしょう。
原爆は大やけどを負った人々の死がイメージされがちですが、
原爆後に起きた大火事で下敷きになった人々が逃げられず生きたまま焼かれたのです。
下敷きになった家族の叫び声を聞きながら、助けられず、自分は逃げるしかなかった。
生き残った家族は今もなお、助けられなかった後悔にさいなまれています。
想像絶する苦しさだと思います。
戦争は地獄です。
どんな理由があろうとも、戦争はあってはならない。
私は義父マキオさんの戦争体験記を描いており
それがきっかけで戦争のことを毎日深く考えています。
この中で、皆様が少しでも「あの日」に触れてくれる頃を願っています。
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確かに「幸せ」は違うと思います。
内臓飛び出してるのに死ねず、彷徨い歩く。
考えただけで怖すぎる。
というか、それでも歩く体力があるのに驚く。
家屋の下敷きになり、近くで火災が起きても逃げられず、生きたまま焼かれる恐怖も想像を絶する。
どんな叫び声だったのだろうと考えただけで耳を塞ぎたくなります。
もしかしたら(幸せ)と言葉は、その絵の文章には書かれてなかったかもしれませんが、幸せといっても間違いではない表現でした。
それくらいの表現だったから、私は焼かれて死んだ人々があげる、断末魔の叫び声を感じたのかもしれません。